大航海時代オンライン
DOLに登場するNPCsめも
ポルトガル
Portugal
〜めざせ東回り航路〜

 ポルトガル王国はイベリア半島西端に位置する国家です。レコンキスタと前後して、イスパニアから独立して成立した国です。
 エンリケ航海王子によって大航海時代を始め、セウタを征服してアフリカに足がかりを作り、以後アフリカを軸にインドを目指しました。マディラ到達、バルトロメウ・ディアスによる喜望峰到達、そしてバスコ・ダ・ガマのインド航路発見へと進みました。
 1580年から60年間、隣国イスパニアに併合 されましたが、その後にリスボン蜂起を経て独立を果たしました。
 大航海時代の先駆者として海外に広大な植民地を獲得しています。イスパニアとトルデシリャス条約、サラゴサ条約を結び、世界を半分ずつ支配しあう取り決めがなされています。

 旧宗主国イスパニアとは、やや険悪 な関係にあります。時代によってはイスパニアに併合され従属 しています。
 ネーデルランドとは、香料諸島や東南アジアの利権を巡って、極めて険悪 な関係にあります。
 ヴェネツィアとは、香辛料交易路の価値を崩壊させたため、恨まれて います。
 オスマントルコとは、香料諸島の利権を巡って対立 関係にあります。


                    ワ-ン 




ア行


アルヴァレス
ギニア湾

(11kD サンゴ 孔雀石)

甲板戦不可(10/06/03時点)





アントニオ・アヴレウ

ガレオン*3。



ラビ・アブラハン

サムブーク*3。





アフォンソ・アベイロ

地中海。




ディニス・デ・アルブケルケ
〜栄光の残滓〜
(DOL未登場)

 『大航海時代4』に登場。
 かつての栄光を失ったポルトガル海軍の、最後の勢力をまとめる人物。
 イスパニアとの力関係の不均衡に悩み、戦わずしてイスパニアに屈しようとする。

 ラファエル編では史実どおり、イスパニアによるポルトガル併呑を許してしまう。
 キョータロー編では、リン・シエに奮起され、かなわぬながらもイスパニアに対し、最後の抵抗を試みようとする。

 実在のアフォンソ・デ・アルブケルケとの関係は不明。


――「リン殿…。戦いに挑む者は、常に勝利に向かって努力している。その姿こそが覇者なのだと…そうだな?」





アルメイダ

インド洋。
戦闘用ガレオン*3、軽ガレオン*2。

 実在の人物。ポルトガルの東インド総督。ゴアの後任。




ロッコ・アレムケル
〜「 坊っちゃん、航海では一人のヘマで全員が危険に晒されるんだ。おとなしくパパの帰りを待ってな」〜

インド洋。
戦闘用ガレオン*3。

 『大航海時代』シリーズすべてに登場(IVでは肖像画とアイテムのみ)。フェレロ公爵家にファブリス、レオン、ジョアンの三代にわたって仕えた。





エスコラール

ギニア湾。
大型キャラック*3。

(11kD コーヒー 魔術の刻印)

甲板戦不可(2010/06/03時点)





エストレイト

アフリカ西岸。
ナオ*3。





ジェロニモ・デ・エスピノサ
〜奴隷交易、暗殺、原住民略奪、なんでもござれ。でもホドラムだけは勘弁な〜


 『大航海時代IV』に登場する悪徳商人。





カ行


ラファエル・カストール
(DOL未登場)

 『大航海時代4』の主人公。




ジョアン・カストロ

地中海。
キャラベル*3。

 『大航海時代2』に登場。


バスコ・ダ・ガマ

イベント。

 アフリカ大陸を回ってインドを目指す「東回り航路」を確立した提督。




フアン・デ・ガライ 1528-1584 Juan de Garay
〜南米奥地建設者〜

地中海。
大型キャラック*5。

 実在の人物。コンキスタドーレ。イスパニア人。バスク人。
 ペルー総督。リオ・デ・ラ・プラタ総督。パラグアイ太守。
 南米の多くの町の建設に携わった。




ヴァスコ・ガリェゴ

カリブ海。
大型キャラック*3。



ディオゴ・カン
ギニア湾

(40kD 石油 刃こぼれしたロングソード)

甲板戦不可(2010/06/03時点)





ペドロ・コヴィリャン

東地中海。
大型キャラック*3。




サ行



アルヴェロ・サルミエント

ポルトガルイベント。イスパニアイベント。

 新進のポルトガル商人。仲間を集めて交易をおこなっている。


――「今まで好き勝手やってきた分、こんな時こそ側にいて支えになりたいんだ。」




ディエゴ・サルミエント

ポルトガルイベント。イスパニアイベント。

 リスボンの大商会、サルミエント商会の商会長。ポルトガル王室、イスパニア宮廷、アルジェ海賊にまで顔のきく大商人。バルタザールやハイレディンとは腐れ縁らしい。


――「お前は自分の信じる道を、己の商売の道を進むがいい。」




フェルナン・シルヴェイラ
〜夢はエスピノサよりもでっかく。だからソファラは僕がもらうね〜

アフリカ東岸。

 『大航海時代IV』に登場する悪徳商人。ラファエル、アルブケルケらと共にエスピノサを滅ぼすが、その功績を独占してソファラを拠点に勢力を得た。
 もともとは高名な冒険者だったらしい。

――「町の金も品も何もかも、すべて我輩のものと決まっておるのだよ。分かったかね、君ぃ!」




ロペス・デ・セケイラ
ギニア湾
重キャラック×3

(40kD 石材 ソンブレロ)

甲板戦不可(2010/06/03時点)




セラーン

大型キャラック*3。



タ行


ディアス提督 (バルトロメウ・ディアス) Bartolomeu Dias(Diaz) ?-1500
リスボン。ディアス提督邸。
港・集落発見報告。 測量。漕船。スペイン語。

 実在の人物。
 英語読み、バーソロミュー・ディアス。

 自己紹介において「高名な提督(デニス・ディアス)の子」と謙遜するが、現在においてはバルトロメウ自身が父よりも遥かに高名である。
 1488年、アフリカ南岸に到達。最南端のアガラス岬を発見する。さらに帰路に喜望峰を発見する。
 ディアス提督は発見した岬を「嵐の岬(カーボ・ダス・トーメンタス)」と名付けたが、ポルトガル国王が不吉な名を嫌って、「喜望峰(カーボ・ダ・ボア・エスペランサ)」と改名させたという逸話は有名。



ナ行





ハ行


ジル・バルボア

アフリカ西岸。




ジョアン・デ・バロス

サンロケ岬沖。





ガスパル・ピレリー
〜話が長いのが玉に瑕〜

軽ガレオン*3。

 『大航海時代外伝』に登場。
 ポルトガル東征艦隊に所属していたが、嵐によって難破して東アジアに流れてきた。
 潮見風吉、劉魁星などの部下を抱え、東アジアで海賊・交易稼業に精を出す。




フェルナンデス

ギニア湾

(7kD 石油)

甲板戦不可(2010/06/03時点)





ジョアン・フェレロ
〜リスボンのボンボン〜

プレステ・ジョアン・イベント。

 『大航海時代2』の主人公。
 フェレロ公爵レオンの息子。ポルトガル王の外孫。父の命でプレステ・ジョアン (ポルトガル語読み。英語ではプレスター・ジョン)の国を探して旅に出る。小遣いは月に金貨千枚。




ファブリス・デ・フェレロ
〜「すると、その黄金のメダルが巡り巡ってわしの命を助けたというわけじゃな」〜
(DOL未登場)

 『大航海時代2』『大航海時代3』に登場。
 ポルトガルの下級貴族。レオンの父。ジョアンの祖父。インドへの交易にでかけて、難に遭った。
 『3』では初心者向けキャラのスタート時のパトロン。

――「ロッコが失礼をしなかったかい? なにぶん荒っぽい奴でね。許してやってくれ。」

――「私が行けばいいのだが、レオンが…いや息子が熱を出してしまってね。そばにいてやりたいのだ。笑ってくれい。」





フェレロ公爵、レオン・フェレロ
〜最初の主人公〜

リスボン沖
ガレオン*3。
援軍要請。弾道学。速射。 ぶどう弾。
(短剣。エストック。14kD。)

 一作目『大航海時代』の主人公。
 父がインドからの帰還中に嵐で行方不明となり、そのため落魄した。父の片腕ロッコ・アレムケルらの助けを借りてフェレロ公爵家を再興し、ポルトガル王女クリスと結婚した。ジョアンの父。



ブラガンサ公爵 Duke Bragança /Braganza


 ポルトガルの有力貴族。
 ブラガンサ家はイスパニア併合下で起きたリスボン蜂起の後、ポルトガル王家となった。
 ゲーム内のブラガンサ公は4代目ジェイム、5代目芸術家のテオドシオ、6代目ジョアンのいずれかと思われる。




ルイス・フロイス
〜それではみなさん、アテブレーベ・オブリガード

商用大型キャラック*3。
リスボン沖。
(ワイン。33kD。シャプロン)


甲板戦不可(2010/06/10時点)


 実在の人物。宣教師。『日本史』の作者。織田信長、豊臣秀吉をヨーロッパに伝えた人物。




フワン



――「え〜ッ、そんなぁ! 何でだよぉ。」




ドゥアルテ・ペレイラ

ギニア湾
(18kD 石油 砲兵隊の心得)

甲板戦不可(2010/06/04時点)





パシェコ・ペレイラ

戦闘用キャラック*3。


ベレストオ
ギニア湾
(14kD 石油 羽根付ソンブレロ(灰色))

甲板戦不可(2010/06/04時点)






プレット・ペロー

大型キャラベル*3。

 『大航海時代2』、『大航海時代4』に登場。
 マルチネス侯のプレステア計画に参加していたが、カタリーナに討伐された。
 『4』ではただの小悪党。


――「彼女はここにはいないさ。彼女がいるのは神の国だよ。」

――「気付くのが早かったようだね。だが、どのみち君たちには死んでもらうのだから、同じ事だね。」




ポルトガル商船隊(北海)
北海。
弾道学。速射。
(ハンザ同盟印章。陶磁器。23レベルで経験115、名声52。11kD。)





フェルディナンド・デ・マガリャネス(エルナンド/フェルナンド・デ・マガリャンイス/フェルディナンド・マゼラン) 1480- 1521 Ferdinando de Magallanes (Hernando de/ Fernando de/ Ferdinand Magellan)
〜世界一周をめざした提督〜

リスボン沖。世界周航イベント。
(ガレオン*1、大型キャラック*4の編成でリスボン沖に登場していたようですが、現在では出現せず?)

 実在の人物。「フェルディナンド・デ・マガリャネス」とも。ポルトガル語読み、マガリャンイス。英語読み、 フェルディナンド・マゼラン (マジェラン)。

 イスパニアの支援を受け、5隻の艦隊を率いて世界一周をめざした提督。
 反乱を短期間で鎮めるなど判断力にすぐれた人物。
 西回りで到達したフィリピンでも武力を用いずに人徳で諸王を服従させ、部下を思いやる高潔な人物。しかし、裏切り者エルカノによって命を落とした。

史実
 史実では、ゲーム内とほぼ正反対の人物。
 異文化理解や平和的解決とは対極の位置におり、航海で到達した先の異民族への略奪武力行使 をためらわなかった。また、その傲慢さによって命を落とした。
 言葉も通じない相手とわずかな接触のみで「タダで食料を与えられる」と思い込んだり、わずか60人で1500人に自身満々で挑み、戦死するまで負けるとは考えもしなかった、など過剰な自信と思い込みがマガリャネス艦隊の特徴でもあった。
 その事跡は生存者への聞き取りを行なったマクシミリアン・トランシルバニアスの著作と、実際に艦隊に参加していたアントニオ・ロンバルド・ピガフェッタの記録によるところが大きい。
 業績が偉大とされる一方で、実際にマガリャネスに遭遇したアジア・オセアニア各地ではいたるところに悪名が伝えられる。

ラドロネス諸島焼き討ち
 マガリャネスに関する不名誉な逸話として、ラドロネス諸島の焼き討ち事件がある。
 マガリャネス一行がこの島に着いたとき、多数のラティーン帆の小船が行き交っていたため、この島々を「ラティーン諸島」と名づけた。
 ヨーロッパ側の記録では、≪トリニダード≫号の上陸用小船艇が盗まれたために、すぐにこれらを「ラドロネス諸島」(泥棒諸島)と改名したということになっている。
 しかし、諸島の住人であるチャモロ人によれば真相は少し違う。
 マガリャネス一行の食料調達隊がこの島で食料を求めたとき、島民は「ボートのうちの一隻と食料とを取引する」と解した。食料をヨーロッパ人に渡すかたわら、ボートのうち一隻を島民が引っ張っていった。
 マガリャネスらは、無償で食料を得られるものだと思い込んでいたため、ボートを「盗まれた」と怒り出した。マガリャネスらは報復のために原住民のタオタオモン人(チャモロ人の旧名)の村を襲撃して、諸島を立ち去った。
 この襲撃を行なったために、原住民の報復を恐れた艦隊は、十分な休息と補給なしで航海を再開しなくてはならなくなったという。

 マガリャネスは世界一周を目前にして、フィリピンで命を落とした。
 彼は若い頃、ポルトガル艦隊の一員としてマラッカまで来ており、そこまで到達すれば世界周航を成し遂げることができたはずだった。

マクタン会戦
 マガリャネスはフィリピンで、イスパニアを後ろ盾に勢力拡大をはかるラジャー(王)・フマボン を押したて、周辺の諸王にフマボンに従属するよう要求した。マガリャネスはフマボンを傀儡にフィリピンからイスパニアへの朝貢(ただ同然の値段での香辛料の供出)とカトリックへの改宗を進めようとした。また、ラジャー・フマボンの側も、イスパニアの武力を背景に、地方王からフィリピン全土の支配者になるという野望を抱いていた。
 これに反発したマクタン島のイスラム系ダツ(王)・ラプ・ラプは、マガリャネスとの敵対を宣言。
 フマボン王やそのライバルであったダツ(王)・ズラ (いまはマガリャネスに従属している)は、イスパニアに従属する見返りとして、マガリャネスのイスパニア兵でラプ・ラプ王を討伐する事を求めた。
 イスパニア兵の火力があれば、竹槍と刀しか持たない原住民を圧倒できると考えたマガリャネスは、12門の火砲と50人の弩兵によって構成される60 人のイスパニア兵(実際に戦闘に参加したのは49人)でマクタン島に揚陸し、海岸線で待ち構えていた1500人のラプ・ラプ軍 を攻撃した。
 揚陸を開始したマガリャネス軍を波打ち際でラプ・ラプ軍が迎え撃ち、約30分の戦闘の後、マガリャネスは戦死した。

最期
 イベントでもピガフェッタがマガリャネスの最期を記しているが、史実でも彼はマガリャネスの死を目撃し、その情景を書き残している。
 ピガフェッタはマガリャネスの最期をこう記す。
 ――「 彼(マガリャネス)が指揮官だと気付くと、原住民たちは提督を集中攻撃した。二度にわたって提督の鉄兜は飛ばされ、さらに一人の原住民が提督の顔めがけて竹槍を投げつけた。その原住民は直後に自らの竹槍を投げ返されて死亡した。提督は佩剣を抜こうとしたが、半ばまでしか抜けなかった。さきほどの竹槍が提督の腕を傷つけていたのだ。それを見て原住民はあらゆる武器を提督に向かって放ち、一本のカトラス(シミター様の巨大剣)が提督の足を貫いた。提督はうつぶせに倒れた。たちまち原住民らは木槍・鉄槍・カトラスをもって殺到し…
 ピガフェッタはマガリャネスを「我らを映す鏡であり、光であり、安らぎであり、導き手であった。」と評しており、彼が部下に慕われていた事をうかがわせる。
 フィリピンでは、ラプ・ラプ王その人の槍がマガリャネスの命を奪ったという伝説もある。

 現在、フィリピンではキリスト教が盛んだが、マガリャネスを撃退したラプ・ラプ王は、ヨーロッパ人の侵略を跳ね返した国民的英雄として扱われている。

その後の艦隊
 マガリャネスの死後、艦隊はフアン・セバスティアン・エルカノによって率いられて、≪ビクトリア≫号は18名の生存者とともに1522年9月にイスパニアに帰還した。
 ≪トリニダード≫号は1525年にわずか4名の生存者がイスパニアに帰還した。





ドミンゴ・マニャーナ(皇太子アルベルト)
〜変装の達人〜

リスボン沖。
大型キャラベル*3。
弾道学。
(7kD ブランデー 火トカゲの刻印)


甲板戦不可(2010/06/10時点)


 『大航海時代2』に登場。
 ポルトガル皇太子アルベルトが見聞を広めるために外遊するときの変名。「ドミンゴ・マニャーナ(明日は日曜日)」は偽名。命名者はジョアン・フェレロ。
 クリス内親王の血の繋がった弟。ジョアン・フェレロの叔父。

――「そうと決まれば、こうしてはいられない。父上には油をしぼられるだろうけど」




デ・マフラ

地中海。
ナオ*3。
(ロングソード。皮革製品。4kD)





エンリコ・マリョーニ
〜伝道師〜

リスボン沖。
大型キャラック*3。

 『大航海時代2』に登場。
 神の教えを極東にまで広げるべく、ジョアンの船に乗り込む。




アントニオ・ミランダ

重キャラック*3、戦闘用キャラック*1。





ジョルジェ・メネセス

戦闘用キャラック*3。




ヤ行





ラ行


アントニオ・ルイ

カサブランカ沖。
ナオ*3。




ドン・ロウレンソ

地中海。
大型キャラベル*3。



ドゥアルテ・ロペス


ペロ・デ・ロローザ
ギニア湾
(11kD 木材 アドミラルハット)

甲板戦不可(2010/06/03時点)



ワ行−ン


ンジンガ・ンベンバ Nzinga Mvemba(Nzinga A Mvemba / Afonso I / Affonso I) 1456-1542(1543?)

〜信仰と苦悩の王子〜


リスボン。ンジンガ・ンベンバ邸。
宗教遺物発見報告。 採集。釣り。スワヒリ語。 アフリカ諸語辞書製法。アフリカ諸語翻訳メモ製法。

 実在の人物。
 リスボンに留学中のコンゴ王国の王子。

史実
 史実ではコンゴ国外に出てはいない。
 「ンジンガ・ムベンバ」、「ンジンガ・ア・ンベンバ」、「アフォンソ1世」など。
 コンゴ国王ンジンガ・ンクワ(ンジンガ・ア・ンクゥ)の子。
 コンゴ王国の王子。のちに第6代国王。
 1483年にポルトガル人がコンゴに到来した時、父と共に洗礼をうけてキリスト教徒となった。洗礼名はアフォンソ
 父王がキリスト教への関心を失った後も信仰を保ち続けた。
 その事跡、思想、政策は、彼がポルトガルに送った多くの文書によってうかがい知る事ができる。

 父の死後、王位継承を拒み、母ンジンガ・ア・ンラザを代理王として推戴した。しかし、それが原因で異母弟ンパンズ・ア・ンジンガが王位を狙って反乱をおこした。この時、王都ンバンザ・コンゴに迫った反乱軍は、神が遣わした聖ヤコブ(サンチアゴ/聖ジェイムズ)と聖霊の顕現によって撃退された、とンジンガ・ンベンバはポルトガルに報告したと伝えられる。(報告書の現物は散逸)
 この反乱の収束によって彼は王位に就き、再び王宮内にキリスト教が盛んになった。

 王位に就いて後、父と同様に奴隷貿易による労働力減に苦しんだ。
 「神の名の下に黒人を自由にする」という名目で、実態としては正反対の奴隷として労働力を国外に持ち出すポルトガル式の商売に対し、ポルトガル王に送った苦情の文書が残る。
 また、非正規のルートで売買された奴隷の解放を求める文書も残されている。

 聖書の記述を基盤に(聖書には奴隷制度を肯定する記述が多々みられる)奴隷交易を肯定するキリスト教によって、国民が辛酸をなめていることに苦渋しながらも、生涯信仰を保ち続けた。(ただし現在のキリスト教諸宗派は奴隷制度に対して批判的)


――「こんな質素な暮らしを親が知ったら…。いや、いまのは忘れてください。こんなわたしのために力を貸してくださったあなたに、神のご加護を。」






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